・電子版では久々のGO→ST 交遊録になります。3/14が誕生日である鈴木さえ子さんについてvol.47とvol.59の2回取り上げてまして、vol.47(2017年5月13日マンダラⅡでのISSIKI AT ALLで配布)では割とドラマーとしての鈴木さえ子さんについて書いてまして、vol.59(2018年10月13日同じくマンダラⅡでのロマンティック研究所で配布)はソロ・アーティストとしての鈴木さえ子さんを前面に出した形でした。
今回はそれを合わせて加筆修正するというパターンです。
当時の雑誌、書籍を参考にしていますが、CDなどクレジットのない部分や雑誌などに掲載されていない様々なことに関しては私の推測で書いておりますので、話半分だと思っていただければありがたいです。
それではもう少しお付き合いください。
・いくつかのバンドを経て、さえ子さんは1980年シネマに加入します。この時点で加入するバンドの候補にスパイ(佐藤奈々子さんがヴォーカルで、ギタリストはシネマの一色進さんの高校時代の同級生だった岩倉健二さんだったというのも何かの因縁でしょう、ちなみに当時スパイとシネマにはドラマーがいなかったのです)があったという話です。
シネマ活動中にさえ子さんが参加したレコーディング・セッションは野宮真貴さん『ピンクの心』と杏里さん『哀しみの孔雀』という鈴木慶一さんプロデュースのアルバムが挙げられます。
まず『哀しみの孔雀』のオリジナル・アナログ盤に掲載されていたミュージシャン・クレジットは見事に省略され、それどころか私所有のCD(初CD化~1986年盤35KD-33)では作詞・作曲・編曲も見当たりません(現行の紙ジャケット盤~2011年発売FLCF -5035ではオリジナル・アナログ盤の歌詞カードが復刻されてます)。
なので、記憶を辿ると、シングル・カットされた「エスプレッソで眠れない」「ヘッドライト」「シルエットオブロマンス」「いつの日かHAPPY END」のドラムスを担当していたはずです。
基本はギター白井良明さん、ベース鈴木博文さん、キーボード岡田徹さんにさえ子がドラムスという編成でした(「シルエットオブロマンス」のみ岡田さんのシンセベース)。
「エスプレッソで眠れない」では後にレーベル・メイトとなるジェイク・H・コンセプションのサキソフォンが、「シルエットオブロマンス」では武川雅寛さんのバイオリンがフィーチャーされています。
ちなみに「シルエットオブロマンス」では作曲者である松尾清憲さん、武川さんに慶一さんがコーラスで参加しています。
「いつの日かHAPPY END」のベースは当時EXの奈良俊博さんが弾いていますが、奈良さんは一色さん脱退後のシネマで、レギュラー・ゲストとしてライヴに参加していました。
(追記~記憶は割と正確で、この部分に関しては間違いがありませんでした)
もう一枚頃『ピンクの心』には曲ごとのクレジットがないのですが、聴いた感じでは確実に「美少年」はさえ子さんが叩いているように思います。「美少年」の作曲も松尾清憲さんによるものです。
角川書店の雑誌「バラエティ」1981年8月号の慶一さん連載対談「2001 Bock'n' Roll Club」にシネマ(松尾さんとさえ子さん)として登場しています。
シネマ解散(ラスト・ライヴは1981年10月3日新宿ルイードだったとか)後は赤城忠治さんを中心としたバンド、フィルムスに加入します。1980年のレコード・デビュー時から在籍していたベースの中原信雄さんとキーボードの後藤信夫さんに新加入のさえ子さん(担当はドラムス)、ギターの小松“ブラボー”世周さん、キーボード(!)の鈴木智文さんという顔ぶれになりました。
細野晴臣さんと高橋幸宏さんがアルファ・レコードに設立したYENレーベルから作品を発表する予定があって、いくつかの雑誌の取材を受けています。
「GORO」(小学舘、1982年No.13)ではその編成でモノクロ・ページですが、ゲルニカ、タンゴ・ヨーロッパなどと登場しています。「ミュージック・ステディ」にも写真と記事が掲載されましたが、諸々の事情で作品が発表されることはありませんでした(後にそれらの音源を収録したCDの発売が予告されましたが、現時点ではまだリリースされていません)。
さえ子さんは同時期、YENレーベルからソロ・デビューした立花ハジメさん『H』のレコーディングに参加し、そのアルバムに参加したメンバーを中心にHというバンド(プロジェクト)を結成して、そこに坂本龍一さんが加わったのがB-2UNITSだったと認識しています。
これに前後して忌野清志郎さんと坂本龍一さんの「いけないルージュ・マジック」のテレビ・セッションに参加していましたね(他に参加していたのはギター仲井戸麗市さん、ベース永田“どんべえ”純さんでした)。
1982年からさえ子さんはスタジオの仕事が増えてきて、ビートたけしさん『おれに歌わせろ』やPANTAさん『唇にスパーク』などのセッションに参加しています。
『唇にスパーク』は編曲が伊藤銀次さん(と矢野誠さん)で、銀次さんがこういったセッションに呼ぶメンバーはギター白井良明さん、ベース奈良俊博さん、キーボード岡田徹さんが中心だったそうですから、普段参加しているドラマーの上原裕さんが不参加の時に呼ばれたのか?と推測しています。このアルバムにも曲ごとのクレジットがないのですが、1曲目の「P-WAVE」は間違いなくさえ子さんのプレイです(もしかしたら先行シングルの「レーザーショック」も?)。
翌年リリースされた友部正人さん『ポカラ』を伊藤銀次さんがプロデュースした際にもさえ子さんは参加しているそうです。
1983年7月にさえ子さんはアルバム『毎日がクリスマスだったら』でソロ・デビューしています。このアルバムはリビングルーム・セッションによって制作され、殆どの楽曲は慶一さんとさえ子さんの二人で完成させています。
ちなみにこのアルバムが初CD化された際(BVCR-5019/1991年8月2日発売)、手違いで「夜のウイウイ」のイントロの一部がカットされてしまいました。もちろん後の再発ではオリジナル通りになっていますが。
発売直後の7月28日、青山タワーボールでソロ・デビュー・コンサートを。リアルフィッシュにムーンライダーズから鈴木慶一さん、鈴木博文さんに武川雅寛さんが加わった「水族館オーケストラ」が演奏を担当しました。
11月にはアルバムからのシングル・カット「毎日がクリスマスだったら/フィラデルフィア」がリリースされています。
「ミュージック・ステディ」では慶一さんとインタビュー。リビングルーム・セッションやイミュレーターの多用などについて。
「バラエティ」1983年9月号では慶一さんの連載対談「K1の胸キュンシリーズ」に登場。立花ハジメさんも途中から加わっています。
そして、ほぼこの時期から泉谷しげるさんのライヴにレギュラーで参加しています。
それまでのドラマー正木五郎さんが参加していたボイス&リズムのデビューが決まったり、音楽性の違いで脱退を決めたからのようです。ちなみにさえ子さんの参加を望んだ理由は「いけないルージュ・マジック」でドラムスを叩いている美少年(!)がいいと泉谷さんと吉田建さんが話したからと伝えられてます。
泉谷さんのツアー・メンバーの半分が変わった時期で、サキソフォンに矢口博康さん、キーボードに福原まりさんが加わったのです。
秋にリリースのアルバム『39゜8´』とライヴ・アルバム『REAL TIME』(このアルバムでのバンド名は2019Replicants)がギター柴山和彦さん、柴山好正さんにベース吉田建さん、さえ子さん矢口さんに福原さんが中心になった形で発表されました。
1984年のアルバム『エレベータ』にはさえ子さんはほぼ参加していませんが、アルバム発売記念ライヴをビデオ化した『EVIL LIVE』(ライヴのタイトルは「エレベータ・ショック」というものでした)にはリアルフィッシュの友田真吾さんとのツイン・ドラムで参加しています。このプロジェクトはここで終了し、泉谷さんはタワーズ(メンバーは吉田建さん、友田さんに布袋寅泰さん)ボイス&リズム、そしてLOSERとライヴ活動を共にするようになります。
1983年にはスクーターズ「東京ディスコナイト」のシングル・ヴァージョンの録音に参加。編曲は慶一さん。この曲の作曲はスクーターズのリーダーでデザイナーの信藤三雄さんと村松邦男さんの共作で、アルバム・ヴァージョンの編曲は村松さんでした。
大貫妙子さんのアルバム『SIGNIFIE』収録曲「アーニャ」にはドラムスとキーボードで参加。立花ハジメさんのHのホーン・セクションも参加したこの曲も編曲は慶一さんです。
徳丸純子さん『青のないパレット』にも参加しています。このアルバムの殆どの編曲を清水信之さんが担当して、大貫妙子さんや村松邦男さんが曲提供していることもあって、裏ディアハートと呼ばれたり、TDKレコードからのリリースということで権利関係が猥雑だったので幻の名盤扱いされていました(現在は『ゴールデン・ベスト』で一部の曲がCD化されています)。
同年には松田聖子さん「天国のキッス」ではキーボードを、「ガラスの林檎」ではドラムスを担当していますが、これはおそらく作曲・編曲の細野晴臣さんのオファーによるものでしょう。
名オムニバス『陽気な若き水族館員たち』収録のポータブル・ロック「クリケット」でのシモンズも忘れられませんね。
ちなみにスクーターズに『陽気な若き水族館員たち』のディレクターは後にメトロトロンレコードの芝省三さんでした。
1984年には5月にシングル「恋する惑星」、6月にはアルバム『科学と神秘』をリリース。プロモーションとして伝説の深夜番組「11PM」(読売テレビ、木曜イレブン~なのでアシスタントは松居一代さん!)に出演し、「血を吸うカメラ」「フィラデルフィア」を(慶一さんと=PSYCHO PERCHESか?)演奏しています。この日のゲストは他にEVEさん(後にかしぶち哲郎さんプロデュースでレコード・デビューした、あのEVEさん、別名神代弓子さんです)にキッチュ(松尾貴史)さんでした。
ちなみにこのアルバムに多大な影響を受けたのが島へ行くボート、大なり><小なりのヨナフィさんでした。後に共演するとは予想もしていなかったとか。
POP IND'Sによるとピチカート・ファイヴを結成したばかりの小西康陽さんと高浪慶太郎さんは「影響されないようにしよう」と話したそうです。
アルバムには前作とは違いリアルフィッシュのメンバーが参加し、彼らのレパートリーである「魔法の国」や「天国の螺旋階段」を取り上げています。他にも立花ハジメさんや大貫妙子さんも参加しました。
発売記念ライヴの顔ぶれはサイコ・パーチズ+リアルフィッシュ+中原信雄さんです。
さえ子さんは同年、文化放送で「鈴木さえ子のサウンド・キッチン」でレギュラー番組のDJを担当したりしています。
この年にはEPOさんのアルバム『HI TECH HI TOUCH』収録曲「RADIO DEAR HEART」でシモンズを担当。ラジオ番組で使用されたため、知らない間に聴いていた人が多いのでは。
冬樹社からリリースされたカセット・ブック『観光地楽団』にメンバー(サキソフォン矢口博康さん、バイオリン美尾洋乃さん、ベース中原信雄さん、キーボード小滝満さんにドラムスさえ子さん、アディショナル・メンバーに白井良明さんや泉谷しげるさん)の一員として参加し、ブックレットにも登場していて、爆笑もののエピソード満載です(CD化されましたが、現在入手困難な模様です)。
発売記念ライヴではツアーとカセット・ブック『マニア・マニエラ』を同社からリリースしたムーンライダーズとのジョイント・ライヴを中野サンプラザで(両者によるセッションの「男と女のいる舗道」が『ワースト・オブ・ムーンライダーズ』に収録されています)
1985年には6月にシングル「夏休みが待ち遠しい」(カップリングの「Come Wonder With Me」はアルバムとはヴァージョン違いで、現在紙ジャケット盤の『緑の法則』にボーナス・トラックとして収録されています)、7月にはアルバム『緑の法則』(初回盤はグリーンのカラー・レコードでした)をリリースしました。
このアルバムからDEAR HEARTレーベルがMIDIレコードへ発展し、大貫妙子さんやEPOさんのライヴやレコーディングに参加することが増えてきています。
そして、アルバムの発売記念ツアーから大人数凄腕バンドの東京マザーズがライヴのバックアップを担当するようになりました。
ムーンライダーズから慶一さん、武川さんと白井さん。リアルフィッシュからは矢口さん、福原さんにベースの渡辺等さん。エキゾティックス、泉谷さんのバンドからの柴山和彦さん。パーカッションに小野雅司さん、トロンボーンに宇都宮明美さん、ドラムスに石坪信也さん、コーラスにチルドレンの根岸道郎さんという顔ぶれでした。
さえ子さんはこの時期からCMの音楽を担当することが増えてきて、ONアソシエイツの大森昭男さんが制作したものに関しては、田家秀樹さん「みんなCM音楽を歌っていた」(スタジオジブリ)にリスト・アップされています。
この時期には冷蔵庫「日立フィットレディ」のCMの作曲・編曲のみならず、CM出演もして日立の冷蔵庫のパンフレットにも登場しています。
1986年には元日に大貫妙子さんのNHK FMのスタジオ・ライヴでドラムスを担当しました(清水信之さん、乾裕樹さんも参加)。
3月リリースのアルバム『Coming soon』(CDのみの)収録曲「お天気いい日」の編曲もしています。
そして、1月にパルコ劇場で緑の法則のアンコール・ライヴを行い、東京マザーズが演奏を担当しています。日替わりゲストには泉谷しげるさん、オナッターズ、松尾清憲さんが出演しました。
松尾清憲さんのライヴやレコーディングに柴山和彦さんが参加するようになったのはこのライヴで「愛しのロージー」を演奏したら、バッチリはまったからでした。
この年のライヴハウス・ツアーや翌年リリースされるアルバム『NO THANK YOU』に白井さんと和彦さんが揃って参加し、ステレオ・ブラザーズを名乗るようになります。
映画「ウホッホ探検隊」の音楽を担当してまして、この映画は監督が根岸吉太郎さん、脚本が森田芳光さんに主演が田中邦衛さんというなかなかすごい顔ぶれで制作されています。
春の化粧品のCMとしてポータブル・ロック「春して、恋して、見つめて、キスして」のプロデュースを担当しています。これは前年にリリースされた『QT』を何度も聴いて、並べて聴いても違和感のない仕上がりにした作品でした(実際、この曲を加えた『QT+1』というアルバムが短いインターバルで発売されています)。
1986年7月には初の12inchシングル「HAPPY END」をリリースしました。この曲はプロモーション・オンリーで7inch(MDR-10)が存在していまして、B面はモノラル・ミックスとなっています。“PROMOTIONAL RECORD for BROADCAST and CABLE RADIO”、つまりAMラジオと有線放送用というのが時代を感じさせます。今、7inchでこの仕様で発売したら面白いですね。
この年のライヴは矢口博康さんのソロ・パフォーマンスの後、東京マザーズのライヴがありました。
印象に残っているのは白井さんのキャスター付椅子に座っての演奏で、その理由は女装してハイヒールを履いていたら転んでしまったとMCで言っていたことです(本当は痛風だったとか)。
日本青年館のライヴから「HAPPY END」が平山雄一さんの「サウンド・ストリート」で放送されました。
これは「HAPPY END」ツアーであると同時に、FM東京の番組用に制作された東京太郎&NAKED COBRAの12inch「GOOD VIBRATIONS/吟遊詩人の唄」の御披露目という意味もあったのではないでしょうか?100枚しか存在しなかったのでおおっぴらには言えないにしても(後に東京太郎『TOKYO TARO is living in Tokyo』で両曲ともCD化され、現在は『THE SUZUKI'S LOST TAPES vol.1』に収録されていて入手可能です)。
このレコード、東京マザーズのメンバーが変名で参加していて、慶一さんは東京太郎、さえ子さんは国立花子、メンバーではなかったゲスト参加の松尾清憲さんは九州次郎を名乗っていました。
ちなみに「GOOD VIBRATIONS」はTHE BEACH BOYSの代表曲で、「吟遊詩人の唄」は三木鶏郎さんがミュージカル「かぐや姫」用に書いた曲で、『トリロー娯楽版』などのCDには「泣く泣くかぐや姫」というタイトルで収録されています。
そして、この曲を取り上げる経緯は先程触れた「みんなCMを歌っていた」に詳しく書かれています。
この年はEPOさんのシングル「アレイ・キャッツ」の編曲を担当し、アレンジャーとして初めてチャート・インしています。アルバム『パンプ!パンプ!』収録とは別ヴァージョンで、リズム・セクションがフェアライトだったのがベースが小原礼さんとドラムスがスティーブ・ジャンセン(ちなみにオリジナル、再録音ともにギター窪田晴男さんとサキソフォン矢口博康さんが参加しています)の演奏に差し替えられています。
12月にはムーンライダーズ「DON'T TRUST OVER THIRTY」ツアーにドラムスで参加。2部のエレクトリック・パートからの出演でした。この時のムーンライダーズはサポートにベースの中原信雄さん、ドラムスに石坪信也さん、エレクトリック・パーカッションに金津宏さん、コーラスに野宮真貴さん、濵田理恵さん、本間哲子さんという大編成でライヴを行いました(通称スーパー・ムーンライダーズ)。
新宿ロフトでのPANTAさんのイベント「パンタ風雲録」にサイコ・パーチズで出演。ボブ・ディランの「雨の日の女」の日本語ヴァージョンなどを演奏しました。
そして、この年の年末には札幌MALSA(マルサデパート)のキャンペーン用のシングルにインストゥルメンタル「Holy」で参加しています。このシングル(MDR-11)はEPOさんの「Twinkle Christmas」(ロジャー・ニコルス・オマージュな小西康陽さん編曲で話題に)とのスプリット・シングルでした。
ちなみにこの「Holy」はサンスイのステレオのプロモーション用のCD(他に「CDドライバー」という曲が別のサンスイのCDに入っているとか)に収録されているというマニア泣かせの1曲です(当然、私はそれらを持っていません)。
1987年元日には2年続けて大貫妙子さんのNHK FMのスタジオ・ライヴにドラムスで参加しました。
6月にはアルバム『スタジオ・ロマンチスト』をリリースしています。このアルバムは『科学と神秘』や『緑の法則』ほど評価されていないようですが、XTCのアンディ・パートリッジがプロデュースした曲が入っていたり、リチャード・トンプソン、ヴァーナ・リントが参加していますし、当時XTCのデイヴ・グレゴリーがストリングス・アレンジを担当していたりする日本のロック史上重大なアルバムです。
この年のライヴは東京マザーズの顔ぶれが若干変化して、ギターが白井良明さん→近藤研二さん、キーボードが福原まりさん→門倉聡さん、新たにコーラスで北川晴美さんが参加しています。北川晴美さんは矢口博康さんとのユニットでハードロックツアーのオープニング・アクトを担当したり、かつて活動していたPRISSY TONGUEのライヴにさえ子さん(と渡辺等さんに矢口博康さん)がゲスト参加したことがあります。
ちなみに北川晴美さんのファースト・アルバムのプロデュースは矢口博康さんが担当していますね。
日本青年館のライヴの前にはかしぶち哲郎さんさんのライヴに参加し、カズーでキング・クリムゾンの曲をカヴァーしたり、ミルトン・ナシメントの「トラベシア」など(確か「YOU ARE MY SPECIAL」だったような)を演奏しました。
アルバム発売記念ライヴはかくれんぼ演出の「SOMETHING IN THE AIR」が1曲目で、2曲目の「YOU ARE MY SPECIAL」で現れるという演出でした。
翌1988年のお正月には1時間NHK FMでその日の模様が放送されましたが、なぜかオープニングからではなく「Happy Families)からでした。
ライヴでのみ演奏された「T.G.I.F.」も放送されたり、かなり貴重な番組でした。
そういえば柴山和彦さんが2階まで駆け上がって、落っこちそうになりながらギターを弾いたのもこの年のライヴですね。
1987年にはFM横浜で「HEART ROCK QUEEN」という番組を始めています。その選曲や情報にワクワクしながら毎週聴いてました。
番組は残念ながら1988年秋に終了。最終回にはゲスト出演が予定されていた慶一さんが遅刻してしまい、結局は出演せず。
秋にはハードロックツアーで名古屋・神戸・大阪でライヴを行っています。さえ子さんのアマチュア時代から交流があるベースの七田康治さん、ドラムスの西山嘉治さん、ギターの大槻弘之さんと慶一さんとで、さえ子さんのソロ曲、ムーンライダーズの曲、七田さんの曲にカヴァー曲という選曲で、普段よりはハードな演奏だったそうです。
12月には松尾清憲さんのLIVE INNでのマンスリー・ライヴ最終回に出演。松尾さんバンドにギターに鈴木慶一さん、ベースは一色進さん(確かリッケンバッカーだったはず)にさえ子さんのドラムスという形で「君のプリズナー」(松尾さんと慶一さんのヴォーカル)「HOTEL」「クリームソーダベイビー」を演奏しました。
1988年2月リリースの矢口博康さんの初ソロ・アルバム『GASTRONOMIC』のレコーディング(アンディ・パートリッジ、スティーブ・ジャンセン、リチャード・バルビエリなど参加のアルバムでこの点も評価されるべきでしょう)とツアーにキーボードで参加し、できたばかりの日清パワーステーションのステージに登場しました(水色のMICHIKO LONDONのダウンコート姿が印象に残っています)。
5月には矢口博康さん出演のインクスティック芝浦でのFUJI AV LIVE(ヴィジュアルは上原則博さんが担当)にサイコ・パーチズとして出演しました。アンコールでは戸田誠司さんか飛び入りして、カシオのデジタル・ギターを弾いていましたが、曲の途中からサキソフォンに持ち替えた記憶があります。
一色進さんのバンド、タイツのアルバム『ラジオ・デリカテッセン』(リリースは1989年)収録曲「ハロウィン」に松尾清憲さんとヴォーカルで参加しました。この曲はハロウィンの時期に「笑っていいとも」で使用されたり、様々なアニバーサリー・ライヴの定番曲となっています。
1989年にはいとうせいこうさん原作の映画「ノーライフキング」に大沢まみ子役で出演し、音楽も担当。
サウンドトラック『ノーライフキング』を1989年12月にリリース後はライヴやレコーディングのサポートや楽曲提供などが活動の中心に。
2月リリースのオムニバス『アンファン2』(ロック・クラシックの名曲をインストゥルメンタルでカヴァーするアルバムの第2弾、井出靖さんプロデュース)にThe Archies「Sugar Sugar」のカヴァーで参加しています。
高橋幸宏さんの1990年リリースのアルバム『BROADCAST FROM HEAVEN』ツアーやサンデイ&サンセッツのサンディのソロ・ライヴ(1991年だったか?確か会場はクラブ・クアトロ)に1991年、クラブ・クアトロの本間哲子さんやPARCO劇場でのプラチナKitのライヴなどに出演しています。
1990年ベスト・アルバム『The Very Best of Saeko Suzuki』をリリース。RCA/DEAR HEARTレーベルの楽曲及び日清チキンラーメンCMソングが初CD化されました。
1980年代にさえ子さんはソロ・アーティストとしての活動のみならず、作曲・編曲にプレイヤーとしても大活躍していました。クレジットされていない作品もありますし、クレジットされていても重要な作品を見逃しているはずです。
それで、ここをご覧の方々からのあれが抜けている!などのご指摘お待ちしております。
TwitterやInstagram、FacebookなのでDMなどで私と連絡できますから、お手数ですがよろしくお願いいたします。
・参考資料
「火の玉ボーイとコモンマン/鈴木慶一」(新宿書房)
「フライト・レコーダー/アストロ・チンプス」(JICC出版)
「POP IND′S No.28」(スイッチ・コーポレイション)
『陽気な若き水族館員たち』(徳間ジャパン/ライナーノート by 小暮秀夫、古澤清人)
『陽気な若き博物館員たち』(徳間ジャパン/ライナーノート by 小暮秀夫、古澤清人)
「ミュージック・ステディ 1983年」(ステディ出版)
『緑の法則』『スタジオ・ロマンチスト』(MIDIレコード)
「わが奔走 It's my life/泉谷しげる」(ロッキン・オン)
「Chart vol.4」(スイッチ・コーポレーション)
サンスイのCD、ハードロックツアーの参加メンバーに関しては工市蝋さんに情報提供していただきました。ありがとうございます。
・追記~どうしても14日の早い時間に更新したかったので、チェックが足りない部分があったり、修正しきれてない部分が多々あると思います。
が、こうしてGO→ST通信2号分をまとめてみると長いし、読みづらいかもしれませんが、今後徐々に修正していくということでご勘弁ください。
最後に、改めて鈴木さえ子さんお誕生日おめでとうございます。またジャック達のライヴでお会いできたら嬉しいです。
All written by Hiroshi Sugar Sugai
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ご意見、ご感想お待ちしております。
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